北海道ドライブ#45 山奥に忘れられたオアシス発見 新十津川→石狩吉野→石狩市浜益区 国道451号線55km SHINTOTSUKAWA to HAMAMASU

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  • Опубликовано: 11 сен 2024

Комментарии • 12

  • @sorachidragon
    @sorachidragon 4 года назад +1

    16:54
    画像左側の三日月湖は、本来の徳富川本流でした。
    滝川市内に住んでるので、夏の海水欲といえば浜益で、よく吉野を通過し、
    この画像の場所は私も大好きでした。
    小さな頃は家々の裏、今は三日月湖、公園ですが当時は清流が流れ、
    河川大好きな私はよくここに家を建設したいと思いました。
    昔は吉野も学校もあり、結構有名なお漬物店もありました。
    小さな頃、海水欲へ行く際、親や祖父が車運転で、吉野の商店に寄りコカコーラやスナック菓子を買ったのを思い出し懐かしいです。
    吉野公園向かいの徳富川の首工、堰堤前清流、岩場は浜益で海水欲帰りに寄り、
    ここで水浴びを楽しんで滝川に帰ったものでした。
    吉野から浜益までは意外と楽しい山間ドライブを楽しむ事が出来ます。
    5月上旬まで青山トンネル付近、まだ雪が多々あり、吉野も家の軒下に残雪がある事も。
    北海道屈指の豪雪地で青山トンネル付近は2メートル、3メートル前後積もる年もあります。
    とにかくこの道路カーブが多々あり大した標高でもないですが幾重に小さな山脈を超え、
    分水嶺を確認出来る事も興味深い道路です。
    国道のわり道路環境が少し悪い区間もあり、カーブが多いのが少し大変ですが、
    浜益に入る峠山頂からの暑寒別岳連峰の山並が素晴らしいですし、黄金山も奇異な山容と良いドライブルートです。
    ここを抜けて浜益に着くと次第に近づく日本海と海水欲場の期待が増し、ハイテンションになった子供時代が懐かしいです。

    • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
      @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  4 года назад +1

      こんにちは。
      突然現れた吉野地区は、なんとも言いようのないオアシス的な良いところでしたから、当時の話を聞いて賑わいが想像できます。
      私も免許取り立てだった頃(42年前w)に、岩見沢から月形、青山を抜けて日本海に抜けていた頃は、砂利道だったけど走りやすかった道路に近いですね。
      旅行の思い出って、現地そのものより、10、20年以上も経ってから、何て事のない道路や、その沿線を見た途端に、完全に忘れていた昔のことを突然思い出するもので、「出発前にこんな準備をしていたという事から、この道路のこの場所で、誰とどんな話をしていたとか、ラジオからこんな音楽が流れていたな~?」って。w
      私の動画が長いのも、観光目的地だけのPR動画にしないため、途中を含めた全てが旅の思い出になっていると思うからです。
      記念写真などは、観光スポットで写したものしか持っていない人が多く、「ここへいったな?」という思い出にはなりますが、自分を含めて誰かの、何かの思い出として残こせるよう、お金と手間はかかるけどノンカットで編集しています。w
      そして私は今の景色を動画にしているだけですが、昔の賑わいや、思い出話しのコメントを見るのが楽しみで、それが新たな楽しみになっています。
      ありがとうございました。

    • @sorachidragon
      @sorachidragon 4 года назад +1

      @@HOKKAIDOJIJIGRAPHIC コメありがとうございます。チャンネル登録頂きありがとうございます。
      42年前に免許を取得されたのですか。まだそのころ道道滝浜線で、砂利道区間もあったのですね~。
      親が中学生頃、家族で海水欲行く際、まだあの辺砂利道だったと聞きます。
      275号も部分的未舗装区間があったと聞き意外でした。
      クーラーも一般大衆車にまだ無い時代、窓から砂煙が入り大変だったとか聞きます。
      >>「出発前にこんな準備をしていたという事から、この道路のこの場所で、誰とどんな話をしていたとか、ラジオからこんな音楽が流れていたな~?」
      わかります。それ私も時々思います。吉野とか今の451号線はまさに親、祖父母と海水欲、大型連休で祖父がドライブでよく浜益、出来たばかりの雄冬岬方面のオロロンライン周ったのを思い出すのです。
      祖父が樺太の海近くの街で生まれ育ち、海が好きでよく行きました。
      弟と祖母と私、どんな会話しながらドライブだったのかなと懐かしく思います。
      ラジオからの曲とかも不思議ですよね、結構鮮明に覚えてる事があります。
      小さな頃まだ音楽なんて興味無いですがチェッカーズとか松田聖子の曲が流れてるのを思い出す最近です。
      つくば科学万博の頃でした。
      自分が青春時代になった時は札幌の恋人とよくドライブしたのですが、
      美瑛の裏道でラジオから流れたスピッツの曲を恋人が一緒に口ずさんでるのを懐かしく思い出すものです。

    • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
      @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  4 года назад

      ​@@sorachidragon こんにちは。
      チャンネル登録の件、お礼には及びません。同じような思いの方が、近くい見つかったので嬉しいです。
      はい、私が免許を取った頃って、道道はほぼ完璧に砂利。
      札幌篠路自動車学校という所に通っていたのですが、今は住宅街のど真ん中になってて、見つけるのが大変なんですけど、当時は広大な畑と草原しかなく、地下鉄の北24条駅から一本道で行け、数百メートル手前から、その付近には学校しか無かったので丸見えだったんです。w
      教習コースも篠路駅の周辺に僅かな民家。
      ただ原っぱを走って、札沼線の踏切を渡るみたいな、「ゆっくり走るな!15キロ位は超過して走りなさい!」と教わる、のどかな所でした。
      国道も3桁になると砂利で、仰るとおり275は札幌市の郊外から先が砂利で、それでもドライブというか、車が好きで時間が有れば、寝ずに九州まで走ってましたね。w
      札幌支笏湖線。知床峠。三国峠。積丹にある当丸峠を通って松前までは道路が寸断されてて、今有名になってるオロロンラインなんて、天塩から稚内までは農道的な細い一車線でしたし、苫小牧から新千歳空港に国道36号線から入る道なんて、25年くらい前まで砂利道をみんな走ってました(笑)
      雄冬はトンネルの上にある山を夏だけ通れる酷く荒れた峠でしたよね。
      タイヤも今より性能が悪いから、20キロおきくらいにバンクしてる車が止まってましたし、今では考えられない時代を目撃してます。w
      スパイクの車粉(しゃふんという変換も今はできなくなってますw)が酷い時代には、道路が真っ黒で、ホワイトアウトならぬ、当時はブラックアウト!
      対向車の跳ねた車粉入りの雨水が当たると、フロントが真っ暗になって何も見えない。
      当時はウォッシャー液のタンクが小さかったから、札幌行くまでに使い切っちゃって、札幌市が近くなるまで、前がワイパーの部分だけ、しかも拭き残しの筋が入って、満足に見えない状態で走ることもありましたね~。
      全部笑い話になる思い出です。ww
      自分が一番古く覚えてるのは、恐らく幼稚園頃。
      国道12号線でさえ砂利道で、岩見沢市の出口には、室蘭線の踏切があり、一部短い橋は手すりのない木造で、床に大きな穴が空いてるのを作業員が直してた光景覚えてます。w
      その木造橋は、私が免許取った頃には通行できないけど残ってました。最近思い出して、通りすがりに探したんですけど、流石に朽ち果ててしまったのか、見かけませんでしたね。
      石狩の海水浴場近くでは、橋がなかったため石狩川に「開発局」と書いたフェリーが、対岸まで車を運んでいたとか、中山峠の旧道時代でしたから、細い砂利道が曲がりくねってて、当時中央バスの運転士をしていた親父が「ここは、良く車が落ちてるんだよ」と言って通るんですが、確かに時々下に車が木に引っかかって落ちてたのを覚えてます。ww
      十数年前に中山峠の旧道が、開放された時が有って、がけ崩れで行けなくなる所まで一人で走ってみたのですが、今の車ではすれ違えない幅の道だったことを知りましたし、100メートルとして直線道路がないことや、所々に古い標識や、事故でなくなった人の慰霊碑が立ってて、当時落ちてた車のことを思い出しながら通り過ぎました。
      その時は、ビデオを用意してなかったので、写真だけ撮ってきたんですけど、そのが何処へ行ってしまったのか・・・。
      何のために記録したのか…ww
      いったいいつの時代だよ!ww
      と言われそうですが、わずか50年前の話なんですよね~w
      50年前には記録を残すことって限られた人だけでしたが、今は誰でも自分が生きた時代を記録に残すことが出来る時代です。
      そんな便利な時代だからこそ、特別な観光地や行事を記録するのも悪くないけど、殆どの人は自分の身近って記録しないですよね?
      でも歳を取ると、自分の身近な記録こそが一番貴重に思えてくるんです。
      親兄弟と過ごした所。通った学校。怒られた所、喧嘩した所、転んだ所、自分の記憶にしか無い過ぎ去った時間を思い出す頃には、残念なことに、自分では何も記録を残していなかった事に気づき、自分だけの記憶だと思っていたものが、実は大勢の人に共通する貴重な記録だった事に気付くもんですね。w

    • @sorachidragon
      @sorachidragon 4 года назад +1

      @@HOKKAIDOJIJIGRAPHIC 砂利道、当時多々あったのでしょうね。
      図書館の市の資料室に昭和42年の滝川市写真集?らしき書籍があり、
      カラー写真で市内色々写真出ていますが、国道12号線、38号線、滝浜街道の中心街からアンダーパス、石狩川橋まで全舗装で、他北電火力発電所までの市道など、幹線市道は流石舗装でしたが、
      中心街から近距離の花月町、空知町の住宅街の幹線市道でも未舗装で驚きました。
      私が4・5歳の頃でも確かに農免道路なんて、砂利道がまだ多くあったのですから、
      当然かもしれませんね。
      スパイクタイヤですか、まだ私が15歳?くらいまで、確かにスパイクタイヤの車粉が問題となってて、テレビでも春先になるとよく北海道ローカルでクローズアップされましたよね。
      スタッドレスになって、親が最初よくスパイクの方が良い、と怖がってる姿を思い出すのです。
      篠路自動車学校ですか。私は麻生自動車学校で1種普通免許教習でした。
      本当は地元の空知自動車学校(滝川)で皆と一緒に教習受けるのが、
      進学するということで、親からまだ早いと札幌進学し教習行きました。
      教習車AT車が確かべ?ツで、確かに質の良い車だったと車なんて全然運転末経験の私でも実感したのを覚えてるんです。
      >>>当時は広大な畑と草原しかなく、
      あの辺は昭和40年代だとそんな感じだったのでしょうね。
      石狩街道もまだ旧道?の時代でしょうか?6車線の今のでは無いでしょうね。
      麻生より北はまだ玉ねぎ畑と牧場だらけだった。と、札幌の親戚も昔説明してくれました。
      >>でも歳を取ると、自分の身近な記録こそが一番貴重に思えてくるんです。
      私も40過ぎそれよくわかります。昭和60年まだ現役会社員、祖父がソニーの8ミリビデオカメラを買いました。それで初孫の私が小3、学芸会や家族で旅行のドライブ車内動画など貴重な動画を多々録画したのですが、
      今になればもっと録画してると良かったのにとよく思います。
      たまにユーチューブで戦前のムービーカメラ録画動画があり、東京の豊島園のスライダーコースターアトラクションとか、東海道本線の電車車窓の景色とか掲載されてるけど、この位年月日が経過すると余計に懐かしいでしょうね。
      50年前も私にすれば大昔で、興味津々ですが更に80年、90年も昔とか、目を輝かせる位興味津々です。
      私も今の最新動画機種で自分の身近な記録を残したいものです。

  • @seedmasato8761
    @seedmasato8761 5 лет назад +2

    タコ滑り台の所は元ドライブインが有りました

    • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
      @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  5 лет назад

      ご視聴、コメント有難うございます。
      えっ!? あそこにドライブインが有ったなんて、全く面影もなくなってるんですね。
      という事は、吉野からファミレス代わりに人が来るほど人口が居たとか、あの道を沢山の車が往来していたって事ですよね?
      たしかに青山の交差点には、焼肉屋が有ったということですから、少なくとも商売が成り立つと思って開業できる状況だったんでしょうね?
      貴重な情報をありがとうございました。

    • @seedmasato8761
      @seedmasato8761 5 лет назад +1

      @@HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  確かドライブイン吉野って店だったと思います
      小学校の時遠足で行った記憶がうっすらと残っています

    • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
      @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  5 лет назад

      追加情報を有難うございます。
      遠足で行ったということは、吉野にお住まいだったんですか?
      へぇ~?この話を事前に知っていれば、この動画の撮り方、繋ぎ方も変えたかったですね。
      でも誰かがこの情報を読んで、私があの町で感じたような思い察してくれればと思います。
      何十年もこの動画が残るとすれば、外国人だらけになってしまったその時、
      日本は何処で政策を間違ったのか、気付く資料になるかも知れません。(笑)

  • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
    @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  5 лет назад

    あっ、今さら気づきましたが・・
    北海道ドライブ#42ではないですww
    後で何番なのか、確認しようとして書き換えるのを忘れてました。
    あんまり気にする人居ないと思いますが。ww

  • @mads8830
    @mads8830 5 лет назад +2

    国道451号線はもう国道じゃなくて道道みたいですね(笑)

    • @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC
      @HOKKAIDOJIJIGRAPHIC  5 лет назад +1

      ご視聴、コメント有難うございます。
      良く言われますが、全国一斉に50年で更新時期を迎えた日本の道路とか。
      北海道では、40年目前後の道路が多いですけど、緊縮財政で何でもかんでも金をかけないようにしているせいか、何処を走っても道路は部分補修しかしないので、毎年重ね補修した所が盛り上がって走りにくいです。
      特に3桁国道は、道道より傷みが酷いままになっていると思います。
      むしろ北海道のほうが、ちゃんと仕事してるな?って印象を持っています。
      それなのに、国道はどんどん拡幅とバイパス的な新道を作っているので、更にメンテ費用が嵩むだけだと思うんですが、新規に作る予算って一定水準毎年確保されているので、とにかく理由をつけて予算を使い切るために作るだけ作って後は放置。
      元々少ない補修予算は微増だから、道路が延長されるたびに直せる部分が減っていくという、全く馬鹿げた状態になっていますね。
      確かに新たな道路を作ると、作る段階。そこを車が走ること。メンテナンスすることで経済効果は生まれます。
      しかし人が見る見る減ってる場所にも必要でしょうか?
      今ある道路を綺麗に補修すれば、ガタガタの道路より安全だし、大規模補修なら経済効果が沢山の道と町に現れます。
      部分補修なんて、土建会社にとっては片手間仕事じゃないですか。
      新たに市町村道が作られない今では、町に有った中小の土建会社が潰れて当たり前ですよ。
      日本ではますます災害対策が必要と言いながら、それを担う土建会社を潰してどうするんですか?(笑)
      一方で表に出さず毎年延びている予算というのも有って、それは省庁に関わる部分(人件費等)と、今も増え続けている昔で言う特殊法人。そこに回す関連支出。
      必要のない、むしろ日本の成長を邪魔する色んな規制を作って、その規制を監督する特殊法人を相変わらず作り続けて新たな天下り先を確保する。
      一等地に建つ家賃の高いビルに入り、精々年に1回。どうでも良いような調査を民間業者に発注してネットに公開するとか、申請の代行業という中途半端な業務しかしない。規制に縛られた民間企業は、そこを介して役人の顔色をうかがう。それが世に言われている岩盤規制。そういう組織にも潤沢に予算が回されています。
      金に色はついてないから、消費税上げても大半はそこに消えていきます。
      省庁に都合の良い悪を作ると予算と天下り先を作ることが出来る。タバコ。温暖化。省エネ。ギャンブル。外国人労働者。WHOは次に酒を悪にしようとしています。
      このまま行くと次の日本では、年金をもらうこと。病気になることと長生きすることが悪だという、人として最低な印象を植え付けさせられる国になってしまいます。
      「社会福祉を維持するため。」と毎回消費増税のたびに言っていますが、どうしてそういう理由で消費税を上げると、それに合わせて福祉関連予算が毎回減らされるんですか?
      維持するんじゃなかったの? ちょっと見てれば猿でも分かる。日本は馬鹿げた嘘と矛盾が無理やり回しているんですよね。
      すいません言い過ぎました。時々カンシャクを起こすんです!(笑)